Skip to main content

第7回スーパーボウル 目次 背景 テレビ放映とエンターテインメント 試合経過 その後 スターティングラインアップ トーナメント表 脚注 外部リンク 案内メニューSuper Bowl TV Rating印象に残る守備陣のニックネームTOP6Garo's GaffeDolphins Finish Super SeasonRedskins Legacy: Birth Of A Giant RivalryGreatest NFL teams of all timeNFL History by DecadePreparation is Key with 1972 Miami Dolphins' Coach Don ShulaSUPER BOWL XXV; Garo's Gaffe, McGee's Hangover And More: The First 24 Yearsスーパーボウル ヒストリーペイトリオッツ、最多タイ6度目頂点 史上最少勝利得点で制す記録で見るスーパーボウル 前代未聞のロースコア ラムズは屈辱的なTDなしLas Vegas Likes Seahawks To Win Super Bowl Next Season, But History Does NotManny Fernandez, part of No-Name Defense, joins Dolphins Honor RollNo. 1 Play?Bucs’ punter reminds Greg Schiano of Garo Yepremian1972 Miami Dolphins visit President Obama, White HousePresident Obama Welcomes 1973 Super Bowl Champion Miami Dolphins to the White HousePresident Barack Obama Honors Perfect 1972 Miami DolphinsスーパーボウルヒストリーSuperBowl.comSuper Bowl VII play-by-play編歴

スーパーボウルマイアミ・ドルフィンズワシントン・レッドスキンズ1973年のスポーツ1973年のアメリカ合衆国ロサンゼルスのスポーツ競技大会1973年1月


1973年1月14日カリフォルニア州ロサンゼルスロサンゼルス・メモリアル・コロシアムスーパーボウルAFCマイアミ・ドルフィンズNFCワシントン・レッドスキンズMVPジェイク・スコットトム・ランドリーガロ・イェプレミアンマイク・バスボブ・グリーシー脱臼アール・モラルカムバック賞ボルチモア・コルツドン・シュラジョニー・ユナイタス第3回スーパーボウルニック・ブオニコンティラリー・ゾンカジム・キイクマーキュリー・モリス前年ポール・ウォーフィールドプロフットボール殿堂ジム・ランガーラリー・リトルダラス・カウボーイズトム・ランドリーニック・ブオニコンティジェイク・スコットロイド・マンフォードディック・アンダーソンボブ・マチソンマニー・フェルナンデスダグ・スウィフト1934年1942年シカゴ・ベアーズNFLチャンピオンシップゲームクリーブランド・ブラウンズAAFC1970年ジョージ・アレン1971年ビリー・キルマーニューイングランド・ペイトリオッツソニー・ジャーゲンセンアキレス腱ラリー・ブラウンシーズンMVPチャーリー・ハラウェイチャーリー・テイラーロイ・ジェファーソンクリス・ハンバーガーパット・フィッシャーマイク・バスクリーブランド・ブラウンズピッツバーグ・スティーラーズAFCチャンピオンシップゲームラリー・シープルグリーンベイ・パッカーズNFCチャンピオンシップゲームダラス・カウボーイズカンザスシティ・チーフスニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズコミュニティカレッジデイブ・シュラNBCカート・ガウディアル・デロガティス翌年アポロ17号ミシガン大学ユージン・サーナンロナルド・エヴァンスハリソン・シュミットアメリカ国歌シトラス大学アンディ・ウィリアムズレン・ホースハワード・トウィリーマーブ・フレミングマーリン・ブリスコーディオン・トルバートジェリー・スミスジム・マンディッチカート・ナイトブリッグ・オーエンスマイク・バス第3回ニューヨーク・ジェッツ第5回ボルティモア・コルツ第53回ニューイングランド・ペイトリオッツダラス・カウボーイズ第52回スーパーボウルニューイングランド・ペイトリオッツ第53回スーパーボウル第17回スーパーボウルボブ・クーチェンバーグヴァーン・デン・ヘルダーこのシーズンテリー・ハームリング1980年シーズンジャック・パーディ1975年1977年シカゴ・ベアーズ1978年1980年ジョー・ギブス第17回スーパーボウル第22回スーパーボウル第26回スーパーボウルヒューストン・オイラーズ1990年1994年2007年ニューイングランド・ペイトリオッツ第42回スーパーボウルニューヨーク・ジャイアンツ2012年タンパベイ・バッカニアーズマイケル・コーネンカンザスシティ・チーフスエドガー・ジョーンズグレッグ・シアーノNFLフィルムズホワイトハウスウォーターゲート事件バラク・オバマアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ大統領ホワイトハウス1985年シカゴ・ベアーズ












第7回スーパーボウル




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






ナビゲーションに移動
検索に移動




























第7回スーパーボウル
Super Bowl VII


























1
2
3
4


MIA
7
7
0
0

14
WAS
0
0
0
7

7
開催日
1973年1月14日
スタジアム
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
開催地
カリフォルニア州ロサンゼルス
MVP
ジェイク・スコット, ドルフィンズ
優勝予想Redskins by 1
国歌斉唱シカゴ・ホリーエンジェルズ教会
ハーフタイム
ミシガン大学マーチングバンド、ウッディー・ハーマン
入場者数90,182


第7回スーパーボウルの位置(アメリカ合衆国内)

ドルフィンズ

ドルフィンズ



レッドスキンズ

レッドスキンズ



開催地

開催地




アメリカにおけるテレビ放送
ネットワーク
NBC
実況と解説
カート・ガウディ、アル・デロガティス
視聴率42.7 (全米)[1]
占有率72 (全米)
CM広告料
(30秒)
8万8千ドル





 < 第6回

スーパーボウル

第8回 > 

第7回スーパーボウル(だい7かいスーパーボウル、Super Bowl VII)は1973年1月14日にカリフォルニア州ロサンゼルスのロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われた7回目のスーパーボウル。AFCチャンピオンであるマイアミ・ドルフィンズとNFCチャンピオンであるワシントン・レッドスキンズの対戦。ドルフィンズがレッドスキンズを14-7で破って、スーパーボウル初制覇を果たした。MVPはドルフィンズのセイフティであるジェイク・スコットが受賞した。


スーパーボウルではノーネーム・ディフェンス(トム・ランドリーの発言が由来)[2]と呼ばれた守備陣が第3Qまで相手を無得点に抑え、ガロ・イェプレミアンがFGをブロックされた後、パスを投げようとしてファンブルしたボールをマイク・バスが拾い49ヤードリターンしたタッチダウンによる7点に抑えて勝利、17戦無敗、パーフェクトシーズンでスーパーボウルを制した[3]
それまでのスーパーボウルで最多の90,182人の観客が訪れた[4]




目次





  • 1 背景

    • 1.1 マイアミ・ドルフィンズ


    • 1.2 ワシントン・レッドスキンズ


    • 1.3 プレーオフ


    • 1.4 ゲーム前の話題



  • 2 テレビ放映とエンターテインメント


  • 3 試合経過


  • 4 その後


  • 5 スターティングラインアップ


  • 6 トーナメント表


  • 7 脚注


  • 8 外部リンク




背景



マイアミ・ドルフィンズ



ドルフィンズはレギュラーシーズン途中にエースQBを欠きながら14勝0敗でシーズンを終えた。第5週の試合でエースQBボブ・グリーシーは右足を骨折し、足首を脱臼した。翌週から38歳のQBアール・モラルが先発し、残り9試合に全勝した。モラルは、この活躍でその年のカムバック賞に選ばれた。モラルはかつてボルチモア・コルツ時代、ドン・シュラヘッドコーチの下でジョニー・ユナイタスの控えQBを務めており、第3回スーパーボウルでは先発出場していた。


ドルフィンズは若い選手たちが多く、スーパーボウルで先発出場した選手のうち、30歳以上は、ニック・ブオニコンティ1人であった。


ドルフィンズは、ラリー・ゾンカ、ジム・キイク、マーキュリー・モリス(前年まではリターナーを務めていたが、キイクから先発ハーフバックの座を奪った。しかしスーパーボウルでは経験豊富なキイクが先発した。)による強力なランニングバック陣を擁した。ゾンカはチームトップの1,117ヤードを走り6TD、キイクは521ヤードを走り5TD、モリスは1000ヤードを走り、NFLトップの12TD、15回のレシーブで168ヤード、キックオフリターンでも334ヤードを記録した。ドルフィンズのラン攻撃はNFL新記録の2960ヤードを獲得し[5]、同一チームで2人の1000ヤードラッシャーが誕生したこともNFL史上初めてのことであった。ドルフィンズはNFL最多の385得点をあげた。


レシーバーのポール・ウォーフィールドは、ラン攻撃が中心のドルフィンズで貴重なディープスリートとして、29回のレシーブで606ヤード(平均20.9ヤード)を獲得した。ドルフィンズのオフェンスラインは、後にプロフットボール殿堂入りを果たすジム・ランガー、ラリー・リトルに率いられた。


ダラス・カウボーイズのヘッドコーチ、トム・ランドリーが名付け親となった、ノーネームディフェンスと呼ばれたディフェンスは、後に殿堂入りをするLBニック・ブオニコンティに率いられ、NFL最少の171失点でシーズンを終えた。またNFL2位の26インターセプトをあげた。Sジェイク・スコットが5インターセプト、ロイド・マンフォードが4インターセプトをあげた。またディック・アンダーソンは3インターセプトに加えてNFLトップの5ファンブルリカバーをマークした。


シーズン中にディフェンスラインマンに負傷者が出たため、ディフェンスコーディネーター、ビル・アーンスパーガーの考案した53ディフェンスを(背番号53のボブ・マチソンを4-3ディフェンスのディフェンシブエンドで起用したり、3-4ディフェンスのラインバッカーとして起用した。)用いた。マニー・フェルナンデスがノーズタックルを務めた。マチソンは、ラインバッカーとして起用された際、パスラッシュやパスカバーで活躍した。LBダグ・スウィフトは3インターセプト、1ファンブルリカバーを記録した。


ドルフィンズはレギュラーシーズンを無敗で終えたが、これは1934年、1942年のシカゴ・ベアーズしか記録しておらず、ベアーズはいずれの年もNFLチャンピオンシップゲームで敗れていた。なお、クリーブランド・ブラウンズは、AAFC時代の1948年に無敗でチャンピオンとなった。



ワシントン・レッドスキンズ



1970年、6勝8敗に終わった後、レッドスキンズは、ジョージ・アレンをヘッドコーチに迎えた。勝利にはベテラン選手が必要というのがアレンのコーチ哲学であり、若い選手やドラフト指名権を経験豊富なベテラン選手とトレードし、NFLで最も平均年齢の高いチーム(先発選手の平均年齢31歳)を作り上げた。チームは1971年、9勝4敗1分、1972年は11勝3敗でシーズンを終えた。


レッドスキンズの先発QBは33歳のビリー・キルマーであり、パス225回中120回成功、1648ヤードを獲得し、NFLトップの19TDをあげる一方、わずか11インターセプトで、NFLトップのQBレイティング84.8でシーズンを終えた。キルマーはシーズン開幕から3試合先発したがニューイングランド・ペイトリオッツに23-24で敗れた後、38歳のベテランソニー・ジャーゲンセンに先発の座を奪われた[6]。ジャーゲンセンがアキレス腱を断裂し、シーズン絶望となったため、先発に返り咲いた。強力なラン攻撃が2人のランニングバックによって行われ、ラリー・ブラウンは285回のランでNFCトップ、NFL2位の1216ヤードを走るとともに、32回のレシーブで473ヤードを獲得、12TDをあげて、シーズンMVP、NFL最優秀攻撃選手に選ばれた[5]。チャーリー・ハラウェイは、148回のランで567ヤードを走った。後の殿堂入り選手、WRチャーリー・テイラーは、WRロイ・ジェファーソンとともにディープスリートとして起用され、合計84回のレシーブで1223ヤードを獲得、10TDをあげた。


ディフェンスではLBクリス・ハンバーガーが4インターセプト、1TD、CBパット・フィッシャーが4インターセプト、マイク・バスが3インターセプトをあげた。



プレーオフ


ドルフィンズのモラルはクリーブランド・ブラウンズとのプレーオフでも先発し、20-14で勝利したが、ピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでは後半からグリーシーがQBを務め、21-17でドルフィンズは勝利した。この試合でドルフィンズのラリー・シープルはフェイクパントを成功させた。


レッドスキンズは、プレーオフでグリーンベイ・パッカーズに16-3、NFCチャンピオンシップゲームではダラス・カウボーイズを26-3とタッチダウンを許さずにスーパーボウル出場を決めた[5]



ゲーム前の話題


ドルフィンズが無敗でチャンピオンとなるかどうか、グリーシーとモラルのどちらが先発するかに注目が集まった。


オーバー・ザ・ヒル・ギャングと呼ばれたベテラン選手の多いレッドスキンズが勝利すると予想するものが多かった。ドルフィンズは全勝したものの勝ち越しチームはそれぞれ8勝6敗でシーズンを終えたカンザスシティ・チーフス、ニューヨーク・ジャイアンツのみであり、レギュラーシーズンのスケジュールが楽であったと考えられた。またプレーオフも接戦であった[7]


レッドスキンズのアレンヘッドコーチは、相手チームのスパイをすると評判があり、NFLがドルフィンズに提供した練習場所であるロサンゼルス・ラムズの施設は近くの学校から丸見えであったため、ドルフィンズは近くのコミュニティカレッジに練習場所を変えるとともに、毎日木の上にスパイがいないか確認を行った。


スーパーボウル前日の練習でドルフィンズの5フィート7インチ、150ポンドのガロ・イェプレミアンはシュラヘッドコーチの息子、デイブ・シュラへ30ヤードのパスを成功させるなど、リラックスした様子を見せた。



テレビ放映とエンターテインメント


NBCが全米中継を行った。カート・ガウディが実況、アル・デロガティスが解説を務めた。


それまでのスーパーボウルではスーパーボウル開催都市ではブラックアウトが行われており、生放送がされなかったが、チケットが完売したことから、ロサンゼルスでも生放送が行われた[8]。NFLは翌年からブラックアウトのルールを変更し、試合開始72時間前までにチケットが売りきれなかった場合、ブラックアウトルールを適用することとした。この大会以後、スーパーボウルがブラックアウトされたことはない。


ゲーム前のイベントではアポロ17号にちなんだ催しが行われ、ミシガン大学のマーチングバンド、1カ月前に月から帰還した宇宙飛行士ユージン・サーナン、ロナルド・エヴァンス、ハリソン・シュミットが出演した[5]


アメリカ国歌をシカゴ・ホリーエンジェルズ教会のメンバーが歌った後、シトラス大学の歌手及びアンディ・ウィリアムズが"Happiness Is"を歌った。



試合経過


ドルフィンズの守備は、ラリー・ブラウンのランを止めて、キルマーにパスを投げさせることを作戦とした。LBブオニコンティがレッドスキンズのオフェンスフォーメーションを見て、適格な指示を各選手たちに伝えた。NTマニー・フェルナンデスは、相手Cレン・ホースを圧倒した。また各選手はカットバックによるランを防いだ。


レッドスキンズの守備は、ゾンカのランを止めて、ドルフィンズのボールコントロールオフェンスを混乱させることを作戦とした。またウォーフィールドに対してはダブルカバーを行った。


前年のスーパーボウルが華氏39度(4℃)と寒い中行われたのに対して、この試合はキックオフ時点で華氏84度(29℃)とそれまでのスーパーボウルでは最も高い気温の中始まった。


コイントスで勝ったドルフィンズは、レシーブを選んだ。第1Qはお互いに守備が活躍し、両チームの最初の2回の攻撃はいずれもパントに終わった。第1Q残り2分55秒に自陣37ヤード地点からの攻撃権を得たドルフィンズは、キイクの2回のランで11ヤードを獲得、グリーシーが18ヤードのパスをウォーフィールドに通して、敵陣34ヤードまで進んだ。その後2回のランで敵陣28ヤード、第3ダウン残り4ヤードから、グリーシーはハワード・トウィリーに28ヤードのTDパスを成功させた[5]。イェプレミアンのトライフォーポイントも決まり、第1Q残り1秒でドルフィンズは7-0とリードした。


レッドスキンズの3回目の攻撃は、フィールド中央でキルマーからチャーリー・テイラーをターゲットとしたパスをジェイク・スコットがインターセプトし、敵陣47ヤードまでリターンした。絶好のポジションで攻撃権を獲得したドルフィンズは、最初のプレーでマーブ・フレミングへの20ヤードのパスを成功させたかに見えたが、クーチェンバーグのイリーガルマン・ダウンフィールドの反則で15ヤードの罰退となり、3アンドアウトとなり、パントに終わった。


続くレッドスキンズの攻撃もパントに終わり、ドルフィンズはゾンカの13ヤードのラン、キイクの8ヤードのランで敵陣47ヤードラインまで前進した後、ウォーフィールドへの47ヤードのTDパスを成功させたかに見えたが、今度はレシーバーのマーリン・ブリスコーがイリーガルモーションの反則を取られてTDパスは無効となった(ブリスコーはこのプレーのみの出場であった。)[5]。第3ダウンにディオン・トルバートがグリーシーをサックし、6ヤードを後退させドルフィンズはパントに終わった。


レッドスキンズは自陣17ヤード地点から前半残り2分を切ってから、敵陣48ヤード地点まで前進したが、第3ダウン残り3ヤードでTEジェリー・スミスを狙ったパスをブオニコンティが自陣41ヤード地点でインターセプト、32ヤードをリターンして、敵陣27ヤードまで戻した。キイク、ゾンカがそれぞれ3ヤードを走った後、グリーシーからのパスをジム・マンディッチがダイビングをして2ヤード地点でパスを捕球した。2プレー後、キイクの1ヤードのTDランが決まり、前半残り18秒でドルフィンズは14-0とリードした[5]


ドルフィンズのディフェンスはレッドスキンズを前半ランで49ヤード、パスで23ヤード、ファーストダウン4回に抑えた。


後半最初の攻撃でレッドスキンズは自陣30ヤード地点から7プレーで敵陣17ヤード地点まで前進した。第1ダウンでキルマーは2ヤード地点でフリーとなっていたチャーリー・テイラーにパスを投げたが、テイラーはつまづき、パスをキャッチできなかった。第2ダウンのハラウェイへのスクリーンパスは不成功となり、第3ダウンではマニー・フェルナンデスがキルマーをサックし、8ヤードをロスさせた。カート・ナイトが32ヤードのFGを蹴ったが右に外れてレッドスキンズは無得点に終わった[5]。第3Q終盤、ドルフィンズはゾンカの49ヤードのランなどで、78ヤードを前進し、敵陣5ヤードまでボールを進めた。この後、エンドゾーン内のフレミングを狙ったパスをブリッグ・オーエンスがインターセプトし、タッチバックとなった[5]


第4Q、レッドスキンズは自陣11ヤードから12プレーで敵陣10ヤードまで前進した。第2ダウン、キルマーはエンドゾーン内でワイドオープンとなったTEジェリー・スミスにパスを投げたが、クロスバーに当たりパス不成功に終わった[5]。第3ダウンにキルマーがエンドゾーン内のテイラーを狙ったパスをスコットがインターセプト、55ヤードをリターンして[5]、ドルフィンズは敵陣48ヤードからの攻撃権を獲得した。


ドルフィンズはボールを敵陣34ヤードまで前進し、第4ダウン残り4ヤードでギャンブルを試みようとしたが、シュラコーチは思い直して、この試合が将来語り継がれる際のことを考えると、シーズン17-0の成績で、スーパーボウルも17-0で勝利したいと考えて、ガロ・イェプレミアンに42ヤードのFGを狙わせることにした[9]。イェプレミアンのキックは低く、ビル・ブルンディジがブロック、はね返されたボールは、ホールダーのモラルより早く、イェプレミアンが拾い、ゾンカにパスを投げようとした。しかしボールはイェプレミアンの手からこぼれ落ち、レッドスキンズのCBマイク・バスがこれを拾い、49ヤードを走りリターンTD[10]、残り2分7秒で14-7となった。


レッドスキンズはオンサイドキックを蹴らずに、キックオフを深く蹴り込んだ。ドルフィンズの攻撃でレッドスキンズはタイムアウトを全て使い、残り1分14秒で自陣30ヤード地点からの攻撃権を得たが、2回のパス不成功、スイングパスで4ヤードのロスとなった後、第4ダウンにヴァーン・デン・ヘルダーのQBサックでレッドスキンズの攻撃は終わった[5]。ドルフィンズの14得点での勝利は、第3回のニューヨーク・ジェッツ、第5回のボルティモア・コルツの16点を下回り、スーパーボウル勝利チームの最少得点であり[11]、第53回のニューイングランド・ペイトリオッツによって更新されるまで、スーパーボウル勝利チームの最少得点記録であり、両チームの得点合計21も、53回大会で更新されるまで最少記録であった[12]


試合終了後、勝者であるドルフィンズのメンバーには1万5000ドル、敗者であるレッドスキンズのメンバーには7500ドルが支払われた[5]


グリーシーはパス11回中8回成功、88ヤード、1TD、1INTで終えた。ゾンカは15回のランでこの試合トップの112ヤード[5]、キイクは38ヤードを走るとともに、2回のレシーブで6ヤード、1TDをあげた。モリスも34ヤードを走った。マニー・フェルナンデスは11回のソロタックル、6回のアシストタックルを決めた。キルマーはパス28回中14回成功、104ヤードで3回のインターセプトを喫した[5]。ラリー・ブラウンは22回のランで72ヤード(平均3.3ヤード)[5]、5回のレシーブで26ヤードを獲得した。レッドスキンズのロイ・ジェファーソンは、この試合トップの5回のレシーブで50ヤードを獲得した。レッドスキンズは228ヤードを獲得、ドルフィンズは253ヤードを獲得、ファーストダウン回数はレッドスキンズが16回、ドルフィンズが12回であった。


前年スーパーボウルで敗れたチームがスーパーボウルで優勝するのは、第6回スーパーボウルのダラス・カウボーイズ以来2チーム目であり、第7回のドルフィンズ以降、第52回スーパーボウルで敗れたニューイングランド・ペイトリオッツが第53回スーパーボウルで勝利するまで、前年のスーパーボウル敗退チームが翌年のスーパーボウルで勝利することはなかった[13][14]








その後


後にニック・ブオニコンティ、ラリー・ゾンカ、スポーツライターのディック・シャープは、17タックルをあげたマニー・フェルナンデスがMVPに選ばれるべきだったと語っている[15]


ガロ・イェプレミアンがFGに失敗した後、サイドラインに戻った際、ニック・ブオニコンティより、試合に負けたらネクタイでお前の首を絞めてやる。と言われた。極度のストレスから彼は試合後のパーティー会場から兄弟の助けによって帰宅した。試合終了後、2週間ほど落ち込んだ状態だった彼の元にシュラヘッドコーチからの手紙が届き、彼のチームへの貢献を称え、スーパーボウルでのミスを気にしないように伝えた。イェプレミアンはこの手紙を大切に保管しており、2000年にシュラに感謝を述べたが、シュラは手紙を書いておらず、その手紙は1991年に乳がんで亡くなったシュラの妻、ドロシーによって書かれたものであった[16]


ドルフィンズとレッドスキンズは10年後の第17回スーパーボウルでも対戦した。Gボブ・クーチェンバーグ、DEヴァーン・デン・ヘルダーの2人はストライキで短縮されたこのシーズンも現役であった。第7回スーパーボウルに出場したレッドスキンズの選手のうち、第17回スーパーボウルに出場した選手はいなかった。1972年のレッドスキンズのメンバーで最後までレッドスキンズに所属していたのは、OTテリー・ハームリングで1980年シーズン終了後に引退した。


レッドスキンズのディフェンスキャプテンであったLBジャック・パーディは、この試合終了後に引退し、16年の現役生活を終えた。彼は1975年から1977年の3年間、シカゴ・ベアーズのヘッドコーチを務めた後、1978年よりアレンの後にレッドスキンズのヘッドコーチを務めた。1980年、チームが6勝10敗に終わると、パーディは解雇されジョー・ギブスがヘッドコーチに就任し、3回のスーパーボウルで優勝した(第17回スーパーボウル、第22回スーパーボウル、第26回スーパーボウル)。パーディはその後、ヒューストン・オイラーズで1990年から1994年までヘッドコーチを務めた。


2007年にニューイングランド・ペイトリオッツがレギュラーシーズン16勝0敗でプレーオフを勝ち上がり、第42回スーパーボウルに出場したがニューヨーク・ジャイアンツに敗れており、この年のドルフィンズ以外にパーフェクトシーズンでスーパーボウルを制覇したチームはない。


ガロ・イェプレミアンのプレーは、「Garo's Gaffe」と呼ばれるようになった。2012年10月12日、タンパベイ・バッカニアーズのパンターマイケル・コーネンはパントをブロックされた後、ボールを拾いパスを投げた。これがカンザスシティ・チーフスのエドガー・ジョーンズにインターセプトされ、そのままリターンTDされた。このプレイの後、バッカニアーズのヘッドコーチ、グレッグ・シアーノは、コーネンが生まれる前に第7回スーパーボウルでイェプレミアンが同じようなプレーをしたことを伝えた。NFLフィルムズが拾ったコーチの肉声ではそれほど怒りは見られなかった[17]


スーパーボウル優勝チーム恒例のホワイトハウス訪問は、ウォーターゲート事件の影響で実施されず、バラク・オバマアメリカ合衆国大統領の時に実現した[18]


2013年8月20日、ドン・シュラヘッドコーチやラリー・ゾンカら優勝メンバーは、バラク・オバマ大統領よりホワイトハウスに招待された。スーパーボウル優勝チームをホワイトハウスに招待する慣習は、1980年以降に始まっており、彼らはこれまでホワイトハウスに招待されたことがなかった[19]。その際、オバマは、1985年のシカゴ・ベアーズがドルフィンズに敗れて15勝1敗となり、惜しくもパーフェクトシーズンを逃したことに触れた[20]



スターティングラインアップ
















































































マイアミ・ドルフィンズポジションワシントン・レッドスキンズ

オフェンス

ポール・ウォーフィールド
Paul Warfield
WR

チャーリー・テイラー
Charley Taylor

ウェイン・ムーア
Wayne Moore
LT

テリー・ハームリング
Terry Hermeling

ボブ・クーチェンバーグ
Bob Kuechenberg
LG

ポール・ラアヴェグ
Paul Laaveg

ジム・ランガー
Jim Langer
C

レン・ホース
Len Hauss

ラリー・リトル
Larry Little
RG

ジョン・ウィルバー
John Wilbur

ノーム・エバンズ
Norm Evans
RT

ウォルト・ロック
Walt Rock

マーブ・フレミング
Marv Fleming
TE

ジェリー・スミス
Jerry Smith

ハワード・トゥウィリー
Howard Twilley
WR

ロイ・ジェファーソン
Roy Jefferson

ボブ・グリーシー
Bob Griese
QB

ビリー・キルマー
Billy Kilmer

ラリー・ゾンカ
Larry Csonka
FB

チャーリー・ハラウェイ
Charley Harraway

ジム・キイク
Jim Kiick
RB

ラリー・ブラウン
Larry Brown

ディフェンス

ヴァーン・デン・ヘルダー
Vern Den Herder
LE

ロン・マクドール
Ron McDole

マニー・フェルナンデス
Manny Fernandez
LDT

ビル・ブルンディジ
Bill Brundige

ボブ・ハインツ
Bob Heinz
RDT

ディロン・タルバート
Diron Talbert

ビル・スタンフィル
Bill Stanfill
RDE

ヴァーロン・ビグズ
Verlon Biggs

ダグ・スウィフト
Doug Swift
LOLB

ジャック・パーディー
Jack Pardee

ニック・ブオニコンティ
Nick Buoniconti
MLB

マイロン・ポティオス
Myrono Pottios

マイク・コーレン
Mike Kolen
ROLB

クリス・ハンバーガー
Chris Hanburger

ロイド・マンフォード
Lloyd Mumphord
LCB

パット・フィッシャー
Pat Fischer

カーティス・ジョンソン
Curtis Johnson
RCB

マイク・バス
Mike Bass

ディック・アンダーソン
Dick Anderson
SS

ブリッグ・オーエンズ
Brig Owens

ジェイク・スコット
Jake Scott
FS

ルーズベルト・テイラー
Roosevelt Taylor

スペシャルチーム

ガロ・イェプレミアン
Garo Yepremian
K

カート・ナイト
Curt Knight

ラリー・シープル
Larry Seiple
P

マイク・ブラッグ
Mike Bragg

ヘッドコーチ

ドン・シュラ
Don Shula


ジョージ・アレン
George Allen


トーナメント表































































































ディビジョナルプレイオフ

カンファレンス決勝

第7回スーパーボウル

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


12月24日
マイアミ・オレンジボウル
 
 

 
 



 クリーブランド・ブラウンズ
14


12月31日
スリー・リバース・スタジアム

 マイアミ・ドルフィンズ

20
 

 マイアミ・ドルフィンズ

21


12月23日
スリー・リバース・スタジアム

 
 ピッツバーグ・スティーラーズ
17
 

 オークランド・レイダーズ
7



1月14日
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム

 ピッツバーグ・スティーラーズ

13
 

 マイアミ・ドルフィンズ

14


12月23日
キャンドルスティック・パーク

 
 ワシントン・レッドスキンズ
7

 ダラス・カウボーイズ

30


12月31日
RFKスタジアム


 サンフランシスコ・49ERS
28
 

 ダラス・カウボーイズ
3


12月24日
RFKスタジアム

 
 ワシントン・レッドスキンズ

26
 

 グリーンベイ・パッカーズ
3



 ワシントン・レッドスキンズ

16
 


脚注


[ヘルプ]


  1. ^ “Super Bowl TV Rating”. TV Sports Rating & News (2009年1月18日). 2015年2月7日閲覧。


  2. ^ “印象に残る守備陣のニックネームTOP6”. NFL JAPAN (2012年5月17日). 2012年5月17日閲覧。


  3. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Garo's Gaffe”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。


  4. ^ 放送権九億円、飛行船も動員 豪華ずくめスーパーボウル朝日新聞 1977年1月9日

  5. ^ abcdefghijklmnopGeorge Solomon (1973年1月15日). “Dolphins Finish Super Season”. ワシントン・ポスト. 2015年2月7日閲覧。


  6. ^ Mike Richman (2012年11月29日). “Redskins Legacy: Birth Of A Giant Rivalry”. ワシントン・レッドスキンズ. 2015年2月7日閲覧。


  7. ^ “Greatest NFL teams of all time”. ESPN. 2015年2月7日閲覧。


  8. ^ “NFL History by Decade”. nfl.com. 2015年2月7日閲覧。


  9. ^ “Preparation is Key with 1972 Miami Dolphins' Coach Don Shula”. SPORTS BUZZ (2008年7月31日). 2015年2月7日閲覧。


  10. ^ Gerald Eskenazi (1991年1月27日). “SUPER BOWL XXV; Garo's Gaffe, McGee's Hangover And More: The First 24 Years”. ニューヨーク・タイムズ. 2015年2月7日閲覧。


  11. ^ “スーパーボウル ヒストリー”. NFL JAPAN. 2019年2月5日閲覧。


  12. ^ “ペイトリオッツ、最多タイ6度目頂点 史上最少勝利得点で制す”. スポニチ. スポーツニッポン新聞社 (2019年2月5日). 2019年2月5日閲覧。


  13. ^ “記録で見るスーパーボウル 前代未聞のロースコア ラムズは屈辱的なTDなし”. スポニチ. スポーツニッポン新聞社 (2019年2月4日). 2019年2月5日閲覧。


  14. ^ “Las Vegas Likes Seahawks To Win Super Bowl Next Season, But History Does Not”. The Post Game (2015年3月2日). 2015年2月7日閲覧。


  15. ^ “Manny Fernandez, part of No-Name Defense, joins Dolphins Honor Roll”. パームビーチ・ポスト (2014年12月21日). 2015年2月7日閲覧。


  16. ^ Dave Hyde (2009年9月25日). “No. 1 Play?”. サン・センティネル. 2015年2月7日閲覧。


  17. ^ Michael David Smith (2012年10月18日). “Bucs’ punter reminds Greg Schiano of Garo Yepremian”. NBCスポーツ. 2012年11月2日閲覧。


  18. ^ Cindy Boren (2013年8月20日). “1972 Miami Dolphins visit President Obama, White House”. ワシントン・ポスト. 2013年12月13日閲覧。


  19. ^ “President Obama Welcomes 1973 Super Bowl Champion Miami Dolphins to the White House”. ホワイトハウス (2013年8月20日). 2015年2月7日閲覧。


  20. ^ “President Barack Obama Honors Perfect 1972 Miami Dolphins”. ワシントン・サン (2013年8月22日). 2015年2月7日閲覧。



外部リンク


  • スーパーボウルヒストリー


  • SuperBowl.com - 公式サイト (英語)

  • Super Bowl VII play-by-play








































「https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=第7回スーパーボウル&oldid=71544418」から取得










案内メニュー



























(window.RLQ=window.RLQ||[]).push(function()mw.config.set("wgPageParseReport":"limitreport":"cputime":"0.580","walltime":"0.699","ppvisitednodes":"value":11734,"limit":1000000,"ppgeneratednodes":"value":0,"limit":1500000,"postexpandincludesize":"value":106165,"limit":2097152,"templateargumentsize":"value":24925,"limit":2097152,"expansiondepth":"value":22,"limit":40,"expensivefunctioncount":"value":1,"limit":500,"unstrip-depth":"value":0,"limit":20,"unstrip-size":"value":12949,"limit":5000000,"entityaccesscount":"value":0,"limit":400,"timingprofile":["100.00% 409.775 1 -total"," 42.47% 174.044 1 Template:Reflist"," 36.93% 151.314 19 Template:Cite_web"," 16.68% 68.337 1 Template:Infobox_SuperBowl"," 11.91% 48.799 16 Template:Citation/showdate"," 10.42% 42.700 19 Template:Accessdate"," 10.24% 41.959 1 Template:Location_map+"," 8.10% 33.205 16 Template:Citation/showdateCore"," 8.09% 33.145 19 Template:Accessdate/core"," 8.04% 32.936 35 Template:ISO_dateJA"],"scribunto":"limitreport-timeusage":"value":"0.037","limit":"10.000","limitreport-memusage":"value":1864346,"limit":52428800,"cachereport":"origin":"mw1269","timestamp":"20190514102423","ttl":2592000,"transientcontent":false););"@context":"https://schema.org","@type":"Article","name":"u7b2c7u56deu30b9u30fcu30d1u30fcu30dcu30a6u30eb","url":"https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC7%E5%9B%9E%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%83%AB","sameAs":"http://www.wikidata.org/entity/Q378744","mainEntity":"http://www.wikidata.org/entity/Q378744","author":"@type":"Organization","name":"Contributors to Wikimedia projects","publisher":"@type":"Organization","name":"Wikimedia Foundation, Inc.","logo":"@type":"ImageObject","url":"https://www.wikimedia.org/static/images/wmf-hor-googpub.png","datePublished":"2012-01-28T22:37:21Z","dateModified":"2019-02-05T00:47:57Z","image":"https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/20/Usa_edcp_location_map.svg"(window.RLQ=window.RLQ||[]).push(function()mw.config.set("wgBackendResponseTime":161,"wgHostname":"mw1328"););

Popular posts from this blog

Log på Navigationsmenu

Creating second map without labels using QGIS?How to lock map labels for inset map in Print Composer?How to Force the Showing of Labels of a Vector File in QGISQGIS Valmiera, Labels only show for part of polygonsRemoving duplicate point labels in QGISLabeling every feature using QGIS?Show labels for point features outside map canvasAbbreviate Road Labels in QGIS only when requiredExporting map from composer in QGIS - text labels have moved in output?How to make sure labels in qgis turn up in layout map?Writing label expression with ArcMap and If then Statement?

Nuuk Indholdsfortegnelse Etyomologi | Historie | Geografi | Transport og infrastruktur | Politik og administration | Uddannelsesinstitutioner | Kultur | Venskabsbyer | Noter | Eksterne henvisninger | Se også | Navigationsmenuwww.sermersooq.gl64°10′N 51°45′V / 64.167°N 51.750°V / 64.167; -51.75064°10′N 51°45′V / 64.167°N 51.750°V / 64.167; -51.750DMI - KlimanormalerSalmonsen, s. 850Grønlands Naturinstitut undersøger rensdyr i Akia og Maniitsoq foråret 2008Grønlands NaturinstitutNy vej til Qinngorput indviet i dagAntallet af biler i Nuuk må begrænsesNy taxacentral mødt med demonstrationKøreplan. Rute 1, 2 og 3SnescootersporNuukNord er for storSkoler i Kommuneqarfik SermersooqAtuarfik Samuel KleinschmidtKangillinguit AtuarfiatNuussuup AtuarfiaNuuk Internationale FriskoleIlinniarfissuaq, Grønlands SeminariumLedelseÅrsberetning for 2008Kunst og arkitekturÅrsberetning for 2008Julie om naturenNuuk KunstmuseumSilamiutGrønlands Nationalmuseum og ArkivStatistisk ÅrbogGrønlands LandsbibliotekStore koncerter på stribeVandhund nummer 1.000.000Kommuneqarfik Sermersooq – MalikForsidenVenskabsbyerLyngby-Taarbæk i GrønlandArctic Business NetworkWinter Cities 2008 i NuukDagligt opdaterede satellitbilleder fra NuukområdetKommuneqarfik Sermersooqs hjemmesideTurist i NuukGrønlands Statistiks databankGrønlands Hjemmestyres valgresultaterrrWorldCat124325457671310-5